7月24日放送のNHK『チコちゃんに叱られる!』で、「歩行者天国をするようになったのはなぜ?」というテーマが取り上げられましたね。
夜のリラックスタイムに、冷たいレモン風味の強炭酸水を片手にNHKの番組をゆっくり眺めるのが私の日課なのですが、今回のテーマには思わず見入ってしまいました。普段、当たり前のように楽しんでいる歩行者天国ですが、実はそこには時代を動かした人々の熱い想いと、感動の物語が隠されているのです。
この記事では、チコちゃんで話題になった「歩行者天国はなぜ始まったのか?」という疑問の答えから、番組では語り尽くせなかった歴史の裏側までを詳しく解説していきます。
週末の銀座や新宿、秋葉原などでよく見かける歩行者天国。広い道路の真ん中を堂々と歩けるあの解放感は、特別なワクワク感がありますよね。
では、なぜわざわざ道路から車を締め出し、歩行者だけの空間を作るようになったのでしょうか。その答えを知るためには、今から50年以上前の日本に時計の針を戻す必要があります。
1960年代から1970年代にかけて、日本は高度経済成長期の真っただ中にありました。自動車の普及が急激に進み、生活が豊かになる一方で、深刻な社会問題が発生します。それが「交通戦争」です。
当時の道路は「車優先」の考え方が強く、歩道と車道の区別がしっかりとされていない場所も多くありました。その結果、交通事故が多発し、幼い子どもたちや高齢者が犠牲になる痛ましい事故が後を絶たなかったのです。
我が家には愛犬がおり、毎日一緒に散歩をしていますが、もし車道と歩道が分かれていない道路を歩くとしたら、恐ろしくて心が休まりません。当時の親御さんたちも、子どもを外で遊ばせることにどれほどの不安を抱えていたことでしょう。
歩行者天国は、単なるイベントとして始まったのではなく、「危険な道路から人間を取り戻し、安全に歩ける場所を作りたい」という切実な願いから生まれた制度なのです。
命の危険と隣り合わせだった道路事情を変えようと立ち上がった人々がいました。ここに、歩行者天国誕生の感動の物語があります。
歩行者天国を大規模に実施し、日本中にその概念を広めた立役者のひとりが、当時の東京都知事であった美濃部亮吉(みのべ りょうきち)さんです。
美濃部亮吉さんは、「車から人間へ」というスローガンを掲げ、車中心の社会から歩行者の安全を守る社会への転換を強く訴えました。そして1970年(昭和45年)8月、銀座、新宿、池袋、浅草という東京の主要な繁華街で、日曜日の一斉な歩行者天国が初めて実施されました。
一部のエピソードについては当時の記録からの推論や仮説に基づいている部分もありますが、実施当日の街は、ベビーカーを押す家族連れや、道路に座り込んでパラソルを広げる人々など、これまでにない笑顔で溢れかえったと記録されています。排気ガスに悩まされていた街に、澄んだ空気と人々の話し声が戻ってきた瞬間でした。
行政のトップが、反対意見もあった中で「命を守る」という強い意志で決断を下したこと。そして、それに賛同した市民が新しい街の姿を喜びと共に迎え入れたこと。この一連の出来事は、現代の私たちが忘れてはならない感動的な歴史ドラマだと感じます。
チコちゃんの番組を機に「歴史」という視点で当時の出来事をさらに深く分析していくと、また違った事実が見えてきます。
実は、美濃部亮吉さんらによる東京での実施よりも前に、「日本初」と呼ばれる歩行者天国が存在していたのをご存知でしょうか。
一時的な交通規制ではなく、日本初の「恒久的な(常設の)歩行者専用道路」として有名なのが、北海道旭川市にある「平和通買物公園」です。1972年(昭和47年)に誕生したこの通りは、現在も旭川のシンボルとして親しまれています。
また、それ以前にも各地の商店街などで小規模な車の締め出しは行われており、どこを「初」とするかは諸説あります。大河ドラマなどの歴史作品を見る際も同じですが、一つの出来事には様々な地域の挑戦や、名もなき人々の努力が複雑に絡み合っているものです。
かつて熱狂的に迎えられた歩行者天国ですが、近年は少し様子が変わってきています。警備の負担増加や、高齢化社会において「車の乗り入れができないと逆に不便だ」という声も上がり、廃止や規模縮小となる地域も増えているのが現状です。
「誕生の歴史」と「現代の課題」を並べて客観的に比較することで、これからの街づくりにおいて私たちが何を優先すべきか、改めて考えさせられますね。
NHK『チコちゃんに叱られる!』で話題になった歩行者天国の歴史について解説しました。
何気なく歩いていた休日の歩行者天国も、その歴史を知ると、先人たちの「命を守りたい」という温かい想いが敷き詰められているように感じます。今度あの広い道路を歩くときは、当時の人々の喜びに少しだけ想いを馳せてみてはいかがでしょうか。