『鳥人間コンテスト2026』に、東京大学F-tecが12年ぶりに出場しました。
そのパイロットを務めるのが、小澤直紘さんです。
番組の予告で「飛べなかった少年の逆襲」と紹介されているため、「小澤直紘さんとは誰?」「過去に何があったの?」と気になった人も多いのではないでしょうか。
小澤直紘さんは、浦和高校時代に鳥人間コンテストへの出場を目指しながら飛ぶことができず、東京大学進学後にF-tecを立て直した19歳の学生パイロットです。
高校時代はパイロットとして飛行に失敗したわけではありません。機体製作メンバーとして参加しましたが、機体はスタート地点に立つ前に棄権しています。
この記事では、小澤さんの年齢、出身高校、東京大学での所属、高校時代に飛べなかった理由、F-tecを復活させた経緯、2026年大会の飛行記録を整理します。
2026年大会では、東京大学F-tecが12年ぶりに実際のフライトを実現し、小澤さんの操縦で62.72mを記録しました。
小澤直紘は19歳の東京大学F-tecパイロット
小澤直紘さんの読み方は「おざわ・なおひろ」です。
番組の参加チーム情報では、2026年大会出場時の年齢は19歳と紹介されています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 小澤直紘 |
| 読み方 | おざわ・なおひろ |
| 年齢 | 19歳 |
| 大学 | 東京大学 |
| 学部 | 教養学部理科一類と紹介 |
| 出身高校 | 埼玉県立浦和高等学校 |
| 所属チーム | 東京大学F-tec |
| 担当 | パイロット、機体の全体設計 |
| スポーツ経験 | 陸上競技・長距離 |
東京大学F-tecが2026年1月に公開した紹介記事では、小澤さんは教養学部理科一類の1年生と記載されていました。
これは記事公開時点の学年です。2026年9月現在の学年とは時期が異なるため、プロフィールでは大学と学部を中心に捉えた方が正確です。
F-tecではパイロットだけでなく、機体の全体設計も担当しています。単に完成した機体へ乗るのではなく、設計と製作の段階から深く関わっている人物です。
「飛べなかった少年」と呼ばれる理由

小澤直紘さんが「飛べなかった少年」と紹介される背景には、埼玉県立浦和高校時代の鳥人間コンテスト挑戦があります。
小澤さんは高校2年生のとき、クラスメートから鳥人間コンテストのパイロットに誘われました。
ところが、当時は年齢条件によってパイロットを務められなかったため、機体製作側のメンバーとして挑戦することになります。
浦和高校のチーム「Urawa Revolbirds」は、2024年大会への出場を目指して人力飛行機を製作しました。高校生が授業や部活動と両立しながら大きな機体を完成させる挑戦でしたが、大会当日までに十分な状態へ仕上げることができませんでした。
会場での機体確認を通過できず、チームはフライト前に棄権しています。
パイロットとして墜落したわけではない
ここは誤解されやすいところです。
小澤さんが操縦した飛行機が墜落したり、飛距離が伸びずに終わったりしたわけではありません。
高校時代の小澤さんは製作メンバーであり、機体はプラットホームから飛び立つ前に棄権しました。
つまり「飛べなかった」という言葉には、小澤さん個人の操縦失敗ではなく、チーム全体で作った機体を琵琶湖の空へ送り出せなかった悔しさが込められています。
飛行結果さえ残らなかったことが、その後の再挑戦を強く意識するきっかけになったようです。
東京大学F-tecをどうやって復活させた?
▼クラウドファンディングで募金を募る東京大学F-tec:CAMPFIREサイト 東京大学F-tec「飛ばせなかった悔しさを力に。東大F-tec、鳥コン2026へ」

高校3年生になった小澤さんは、大学受験へ向けた勉強に切り替えました。
しかし、鳥人間コンテストで飛ばせなかった悔しさは残り続けます。
小澤さんは東京大学へ進学すると、かつて同大学に存在したF-tecの活動を調べました。F-tecには鳥人間コンテストへ何度も出場した歴史がありましたが、活動は途絶えており、すぐに引き継げるチームや製作体制はありませんでした。
そこで小澤さんは、指導を引き受ける教員を探し、参加する学生を集め、作業場所を確保するところからチームを立ち上げ直します。
通常のサークル活動であれば、先輩から後輩へ運営方法や技術が引き継がれます。しかし、再始動したF-tecには、現在の学生がそのまま利用できる組織や製作ノウハウが十分に残っていたわけではありません。
メンバー集めと並行して、30メートルを超える規模の機体を一から設計・製作する必要がありました。
高校時代に完成までたどり着けなかった小澤さんが、大学ではチームそのものを作る側に回ったことになります。
「12年ぶり」はF-tecの出場間隔
東京大学F-tecの2026年大会出場は、番組で「12年ぶり」と紹介されています。
この12年は、小澤さん本人が12年間挑戦していたという意味ではありません。東京大学F-tecというチームが鳥人間コンテストへ戻ってくるまでの期間です。
19歳の小澤さんは、過去のF-tecを直接知る世代ではありません。
それでも大学の歴史を調べ、かつてのチーム名を引き継ぎ、新しいメンバーとともに再出発しました。伝統あるチームへの加入ではなく、活動が止まったチームの再建だった点が今回の挑戦の大きな特徴です。
小澤直紘がパイロットに選ばれた理由は?
▼浦和高校時代の小澤直紘さん(当時17歳)

小澤直紘さんは、浦和高校時代から陸上競技の長距離種目に取り組んできました。
人力飛行機のパイロットには、機体を前進させるためにペダルをこぎ続ける持久力が必要です。体力を消耗する中でも姿勢や出力を保ち、地上からの指示を受けながら飛行することになります。
長距離選手として培った持久力は、パイロットを目指すうえで大きな土台になったと考えられます。
さらに、小澤さんは機体の全体設計も担当しています。
自分が乗る機体の構造や特性を設計段階から理解しているため、試験や訓練で感じた問題を設計へ反映できます。設計者とパイロットの距離が近いことは、学生チームにとって重要な強みです。
高校時代は年齢条件によってパイロットになれませんでしたが、大学では自ら作ったチームのパイロットになりました。
この立場の変化も、番組が小澤さんの挑戦を「逆襲」と表現する理由でしょう。
鳥人間コンテスト2026の記録は62.72m
『鳥人間コンテスト2026』は2026年9月2日に放送され、東京大学F-tecは人力プロペラ機部門に12年ぶりに出場しました。小澤直紘さんがパイロットを務め、飛行記録は62.72mでした。
高校時代は機体審査を通過できずフライト前に棄権した小澤さんが、自ら再建したF-tecの機体を操縦して琵琶湖を飛びました。飛距離そのものだけでなく、「飛べなかった少年」が実際のフライトまでたどり着いたことが、今回の大きな到達点です。
小澤直紘についてよくある疑問
▼NOTEで自己紹介する小澤直紘さん:東京大学F-tec「会員紹介①」

小澤直紘の読み方は?
「おざわ・なおひろ」と読みます。東京大学F-tecの会員紹介では、英字で「Ozawa Naohiro」と表記されています。
小澤直紘の出身高校は?
埼玉県立浦和高等学校です。高校時代は陸上競技に取り組みながら、鳥人間コンテストを目指すチームにも参加しました。
高校時代はパイロットだった?
高校時代は年齢条件によってパイロットを務められず、機体製作メンバーとして参加しました。大学では東京大学F-tecのパイロットと全体設計を担当しています。
高校時代に飛べなかった理由は?
機体の製作を十分な状態で終えられず、大会当日の確認を通過できなかったためです。飛行中の事故や操縦ミスではなく、フライト前の棄権でした。
鳥人間コンテスト2026での記録は?
2026年大会で、東京大学F-tecは62.72mを記録しました。小澤直紘さんは、人力プロペラ機部門のパイロットとして、12年ぶりに復活したチームの機体を実際に飛ばしました。
まとめ

小澤直紘さんについて分かったことをまとめます。
- 2026年大会出場時の年齢は19歳
- 埼玉県立浦和高校から東京大学へ進学
- 高校時代はパイロットではなく機体製作メンバー
- 2024年大会では機体が飛ぶ前に棄権
- 東京大学進学後、活動が途絶えていたF-tecを立て直した
- F-tecではパイロットと機体の全体設計を担当
- 陸上競技の長距離経験を持つ
- 東京大学F-tecは2026年大会で12年ぶりに実際のフライトを行い、62.72mを記録
高校時代に飛行前の棄権を経験した小澤さんは、東京大学で仲間を集めてF-tecを再建し、2026年大会では自らパイロットとして62.72mを飛びました。
飛距離とは別に、12年間活動が途絶えていたチームを再び大会へ戻し、実際のフライトまで実現したことが今回の大きな成果です。
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参考資料
・TVer「Iwataniスペシャル 鳥人間コンテスト」 https://tver.jp/series/srbdp134gu
・『鳥人間コンテスト2026』東京大学F-tecの放送記録 https://datazoo.jp/n/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6%2BF-tec/25350887








