※この記事は、2026年9月2日放送の『風、薫る』第113回と、明治時代の看護史に触れています。
朝ドラ『風、薫る』第113回では、しのぶが派出看護に関する悪評を聞き、りんと直美へ報告しました。
りんと直美が悪質な派出看護会を調べた後、直美は内務省衛生局の柳生に取締りを求めます。
ここで気になるのが、「派出看護とはどのような仕事だったのか」「現代の訪問看護と同じなのか」という点です。
結論からいうと、派出看護は現代の訪問看護の源流といえる仕組みですが、現在と同じ制度ではありません。
明治時代の派出看護は、看護婦会が患者の求めに応じて看護婦を家庭や病院へ送り、患者側と個別に契約して看護を行う仕組みでした。
派出看護とは?
▼『風、薫る』直美とりん:派出看護に関する悪評を聞く

「派出」とは、人を必要な場所へ送り出すという意味です。
派出看護では、病人や家族から依頼を受けた看護婦会が、所属する看護婦を患者の家庭や入院先へ送りました。
用語を分けると、次のようになります。
| 用語 | 意味 |
|---|---|
| 派出看護 | 家庭や病院へ出向いて看護を行う仕組み |
| 派出看護婦 | 実際に患者のもとへ出向く看護婦 |
| 派出看護婦会 | 依頼を受け、看護婦を紹介・派出する組織 |
病院の職員として病棟で働く場合とは異なり、患者側との個人契約に基づいて、家庭だけでなく病院へ派出されることもありました。
現在の法律に基づく「労働者派遣」とは別の仕組みです。「派出」は当時使われていた表現であり、現代の派遣会社から看護師を送る制度と同じ意味ではありません。
派出看護はいつ始まった?
2024年に千葉県立保健医療大学紀要へ掲載された看護史の研究報告によると、1885年(明治18年)には、有志共立東京病院の看護婦教育所の生徒が家庭へ出向いて看護を行っていました。
組織的な派出看護は、1891年(明治24年)に鈴木雅が東京市本郷で開設した「慈善派出看護婦会」が起点とされています。
| 年 | 派出看護をめぐる動き |
|---|---|
| 1885年 | 看護婦教育所の生徒が家庭で看護を提供 |
| 1891年 | 鈴木雅が慈善派出看護婦会を開設 |
| 1899年 | 『風、薫る』第113回の時代 |
| 1900年 | 東京府看護婦規則が制定 |
| 1915年 | 全国統一の内務省令看護婦規則が発令 |
| 1947年 | 職業安定法の制定により派出看護婦会が解散 |
『風、薫る』の物語は明治32年、つまり1899年まで進んでいます。東京府で派出看護婦を対象とする規則が制定される前年です。
なぜ派出看護に悪評が広がった?
▼『風、薫る』寛太:人気の高まりに便乗した一部の悪質な組織?

派出看護婦会は東京や大阪などの都市部を中心に急速に増加しました。病院の外でも専門的な看護を受けたいという需要が高まったためです。
一方で、組織が急増すると、看護婦の教育や経験、仕事の質に差が生じます。当時は、全国共通の免許制度や派出看護婦会の設立基準がまだ十分に整っていませんでした。
【事実】一部の派出看護婦会で看護の質が大きく低下したことが、1900年の東京府看護婦規則や、1915年の全国的な看護婦規則につながったと看護史研究で説明されています。
ただし、派出看護婦会がすべて悪質だったわけではありません。正規の教育を受けた看護婦が質の高い看護を行い、患者や家族を支えた例も数多くありました。
ドラマで問題になっているのは、派出看護そのものではなく、人気の高まりに便乗した一部の悪質な組織です。
派出看護と現代の訪問看護の違い
派出看護と訪問看護には、看護職が患者の生活する場所へ出向くという共通点があります。
一方、制度面には大きな違いがあります。
| 比較項目 | 明治時代の派出看護 | 現代の訪問看護 |
|---|---|---|
| 運営 | 看護婦による私的な看護婦会 | 指定を受けた訪問看護事業所など |
| 契約・費用 | 患者側との個人契約が中心 | 医療保険・介護保険の利用が中心 |
| 訪問先 | 患者の家庭や入院先の病院 | 自宅や入居施設など生活の場 |
| 医師との関係 | 初期には統一的な仕組みが未整備 | 原則として主治医の指示書に基づく |
| 記録・計画 | 各看護婦会の運営方法による | 計画書・報告書・訪問記録を作成 |
| 担い手 | 派出看護婦 | 看護師、保健師、理学療法士など |
| 品質管理 | 組織ごとの差が大きかった | 管理者、法令、事業所基準などで管理 |
現代の訪問看護では、主治医の指示書や利用者の状態を踏まえて訪問看護計画書を作り、実施内容を記録して主治医と連携します。
2026年の厚生労働省「訪問看護計画書等の記載要領等について」でも、指示書、計画書、報告書、訪問記録書を事業所の管理者が確認・管理することが定められています。
現在は医療保険や介護保険を利用する訪問看護が中心ですが、保険外の自費訪問看護もあります。
派出看護は訪問看護の前身なの?
派出看護婦会は、現代の訪問看護ステーションの前身、または訪問看護の源流の一つと考えられています。
ただし、派出看護婦会が名称だけを変えて、そのまま現在の訪問看護ステーションになったわけではありません。
派出看護婦会は1947年の職業安定法制定後に解散しました。その後、医療や福祉、保険制度が整備される中で、現在の訪問看護制度がつくられています。
したがって、「家庭へ出向いて患者を看護する」という考え方は受け継がれていますが、契約方法や資格、費用、医師との連携、品質管理は別の制度へ発展したと考えるのが正確です。
直美の取締り要求は史実と関係する?
▼『風、薫る』柳生藤次:内務省衛生局

ステラnetの第113回紹介では、直美が悪質な派出看護会の取締りを求め、柳生を訪ねることが示されています。
【事実】ドラマの時代である1899年の翌年、東京府看護婦規則が制定されました。派出看護婦会の乱立と質の低下に対して、行政による規制が進んだことは史実です。
【分析】直美たちの行動は、派出看護を社会的な制度へ変えていく動きを、視聴者に分かりやすく示す役割を持っていると考えられます。
【注意】直美や柳生はドラマ上の人物です。直美の陳情が1900年の規則制定を直接実現させたという史実があるわけではありません。実際の歴史を下敷きにしたフィクションとして区別する必要があります。
まとめ

派出看護とは、明治時代に看護婦が患者の家庭や入院先へ出向き、個人契約に基づいて看護を行った仕組みです。
看護職が患者の生活場所へ赴くという点では、現代の訪問看護の源流といえます。
ただし、現代の訪問看護は、主治医の指示書、訪問看護計画、事業所による管理、医療保険・介護保険などを基盤とする制度です。派出看護とまったく同じものではありません。
『風、薫る』の時代は、実際に派出看護婦会の質が問題となり、行政による規制が始まる直前でした。直美たちが悪質な看護婦会と向き合う物語は、日本の看護が個人の仕事から社会的な制度へ進む転換点を描いていると考えられます。










