※この記事には『豊臣兄弟!』第32回の予告内容と、賤ヶ岳の戦いに関する史実が含まれます。
『豊臣兄弟!』第32回「賤ケ岳の決闘」では、柴田勝家との対陣中、織田信孝が岐阜で再び挙兵。秀吉は小一郎秀長に後を任せ、岐阜方面へ向かいます。
決戦を目前にした秀吉は、なぜ重要な戦場を離れたのでしょうか。
結論からいえば、秀吉は勝家から逃げたのではありません。勝家と連携する信孝を放置すれば、近江と美濃の二方向から圧力を受ける危険があったためです。
そして秀吉が前線を離れられた背景には、田上山(たがみやま)を拠点とする秀長の存在がありました。
秀吉が賤ヶ岳を離れた理由は織田信孝の再挙兵
【大河ドラマ 豊臣兄弟!】第32回予告「賤ヶ岳(しずがたけ)の決闘」| NHK

天正11年(1583年)の賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いは、羽柴秀吉と柴田勝家が突然ぶつかっただけの戦いではありません。
両軍は近江北部に多数の砦を築き、長期間にわたって対陣していました。勝家は北国街道を通って京都方面へ進もうとし、秀吉側はその南下を阻止しようとしていたのです。
ところが対陣中、岐阜城の織田信孝が再び兵を挙げました。信孝は織田信長の三男で、勝家と結んで秀吉に対抗していた人物です。
秀吉が抱えていた問題を整理すると、次のようになります。
| 方面 | 相手 | 秀吉側の課題 |
|---|---|---|
| 近江・賤ヶ岳 | 柴田勝家軍 | 北国街道からの南下を阻止する |
| 美濃・岐阜 | 織田信孝 | 勝家との連携や側面からの攻撃を防ぐ |
信孝を放置すれば、秀吉は勝家と信孝の双方を相手にしなければなりません。そこで秀吉は、賤ヶ岳の前線を秀長らに任せ、美濃方面へ出兵しました。
なお、秀吉が岐阜城まで進んだと単純に考えるのは正確ではありません。決戦直前の秀吉は美濃の大垣周辺におり、そこから賤ヶ岳へ引き返したと考えられています。
秀長は「留守番」ではなく前線指揮官だった
ドラマの予告では、秀吉が「小一郎に後を任せて」岐阜へ向かうと説明されています。
しかし秀長の役割を、兄が戻るまで陣地を守るだけの留守番と見るのは適切ではありません。
秀吉軍の前線拠点となったのが、現在の滋賀県長浜市にあった田上山城です。田上山城は秀長が城主を務め、賤ヶ岳周辺に配置された砦を統括する位置にありました。
長浜城歴史博物館には、秀吉が秀長へ送った天正11年3月付の書状が所蔵されています。そこには、長浜にいた秀吉が田上山の秀長に対し、戦闘準備に関する指示を送ったことが示されています。
この書状から分かるのは、秀長が決戦前から前線の重要な指揮系統に組み込まれていたことです。
確実に確認できる事実と、そこから考えられる役割を分けると、次のようになります。
| 区分 | 内容 |
|---|---|
| 史料で確認できること | 秀長は前線拠点の田上山におり、秀吉から戦闘準備の指示を受けていた |
| 有力な見方 | 秀吉不在中、秀長が前線全体の連絡や陣地維持を担った |
| 断定できないこと | 奇襲発生後に秀長が出した個々の命令や、すべての部隊運用 |
秀長は秀吉の代理として突然選ばれたのではなく、それ以前から前線を支える立場にあったのです。
佐久間盛政の奇襲で戦況が動いた
秀吉が美濃方面にいる間、柴田軍の佐久間盛政が秀吉側の大岩山砦を急襲しました。
大岩山砦を守っていた中川清秀は討ち死にします。秀吉軍にとっては、砦を一つ失っただけでなく、構築してきた防衛線を崩されかねない事態でした。
報告を受けた秀吉は、大垣方面から近江北部へ急いで引き返します。これが、後に「美濃大返し」と呼ばれる行軍です。
秀吉の帰還後、羽柴軍は反撃に転じました。突出していた佐久間隊が崩れると、柴田軍全体も敗走へ向かいます。
この展開は秀吉の決断力だけでは説明できません。秀吉が戻るまで前線の指揮系統が維持され、反撃できる軍勢が残っていたことが重要です。その基盤を支えた一人が秀長でした。
美濃大返しは本当に「約50キロを5時間」だった?
美濃大返しは、大垣から木之本周辺まで約13里、現在の距離にしておよそ50キロを、秀吉軍がわずか5時間ほどで移動した逸話として知られています。
ただし、この「5時間」という数字は慎重に扱う必要があります。
秀吉が大垣方面から驚異的な速さで戻ったこと自体は、自治体や博物館の解説でも紹介されています。一方、軍勢の出発時刻、到着時刻、実際の経路には複数の説があります。
したがって、現時点での整理は次のようになります。
- 秀吉が美濃から賤ヶ岳へ急行したことは確か
- 約50キロという距離は、おおよその経路を基にした数字
- 「5時間」は有名な説だが、確定した所要時間とは言い切れない
- 秀吉本人だけでなく、どの範囲の軍勢が同じ速度で移動したかも検討が必要
重要なのは記録上の分単位の速さより、柴田軍が秀吉の帰還を想定しにくいほど短時間で戦場へ戻ったことです。
秀吉の離脱は敵を誘うための罠だったのか
秀吉は、佐久間盛政を誘い出すため、わざと賤ヶ岳を離れたのではないかという説もあります。
確かに結果だけを見れば、秀吉不在を好機と判断した佐久間隊が突出し、秀吉軍はその部隊を反撃で破っています。そのため、秀吉が最初からすべてを計算していたようにも見えます。
しかし、信孝が実際に岐阜で再挙兵していた以上、美濃への出兵には明確な軍事的理由がありました。
秀吉が敵の攻撃をある程度予想していた可能性はありますが、「信孝の再挙兵も含め、すべてが秀吉の仕掛けた罠だった」と裏付ける決定的な史料はありません。
事実に近い説明は、秀吉が二つの危機に対応するため前線を秀長に任せ、柴田軍が動いたとの報告を受けて急ぎ帰還した、というものです。
『豊臣兄弟!』第32回で注目したいポイント
第32回では、秀吉を池松壮亮さん、小一郎秀長を仲野太賀さん、織田信孝を結木滉星さんが演じます。
放送で特に注目したいのは、次の3点です。
- 秀吉が岐阜へ向かう理由を、信孝への対応としてどう説明するか
- 秀長が前線指揮官として、どのような判断を下すか
- 美濃大返しを、時間や距離も含めてどう描くか
公式予告で分かるのは、秀吉が秀長に後を任せて岐阜へ向かうところまでです。秀長の具体的な指揮や、美濃大返しの時間表現については放送で確認する必要があります。
まとめ
秀吉が賤ヶ岳の戦場を離れたのは、柴田勝家から逃げたためではありません。勝家と連携する織田信孝が岐阜で再挙兵し、美濃方面の危機に対応する必要が生じたからです。
秀吉がその決断を下せた背景には、田上山を拠点に前線を支えていた秀長がいました。
美濃大返しは秀吉の素早い帰還として有名ですが、勝利を秀吉一人の速さだけで説明することはできません。秀長らが前線を維持していたからこそ、帰還した秀吉軍は直ちに反撃へ移れたのです。
賤ヶ岳の勝利は、動いた秀吉と、残って戦場を支えた秀長。その両方の判断によって生まれた勝利だったといえるでしょう。









